ベガルタ仙台裏強化部コラム

兼 ベガルタ仙台裏経営検討委員会議事録

君たちはどう生きるか(前)あるベガルタファン・26年目の秋の夜長

馬と鹿

 

みなさまお久しぶりです。私事ながら、この秋仕事の状況が大きく変化を迎えそうでして。そんな秋の気配、オフコースおや。

 

まあ、リアルに不健康な生活を送ってきたゆえ、そろそろ状況を変えたいなあと。年齢もリアルな感じなので、方向修正といった感じです。

 

さて、半沢直樹の続編が盛り上がるなか、私という輩は今更ノーサイド・ゲームにハマっております。

 

いちおうネタバレは避けますが、ドラマを見て改めて思ったことは「フロントって大事なんだなあ」と。そうだな、と頷いたあなた。

 

もう今回のテーマはお分かりですね。

 

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そう、コロナ氏の根強い活動により、我が軍はどうやら債務超過に陥るとのこと。

 

でも、賢明な方長く我が軍を見ている方は特に驚かなかったはずです。そもそも近年の決算や予算から、観客動員数に依存している危うさ、杜撰な経営の歴史を過ごしてきたことを知っているはずなので。

 

ブランメル仙台の場合

 

私Sがこのチームと接点を持ったのは、1993年12月のこと。まだチームは東北電力サッカー部でした(その辺りの話はまあ、おいおいで…)。

 

まだJ1しか知らない方は多分わからないと思いますが、何度も「経営難」「債務超過」というワードは目にしてきました。

 

1995年、当時のJFL(今でいうJ2です)で過ごした1年目は16チーム中15位。しかし、見栄っ張りの宮城・仙台経済界が動き、1996年、Jリーグ参入を目指した大型補強を敢行しました。

 

引退していた元西ドイツ代表、ピエール・リトバルスキーが現役復帰し、実質監督に就任(名義上の監督は佐藤長栄氏)。1994年のJリーグ得点王、フランク・オルデネビッツをはじめ、ジェフ市原の選手と宮城県出身のJリーガーを中心に、前年からほぼ選手が入れ替わるほどの選手を獲得。1995年までに在籍した選手およびヒゲ監督は、実質ほとんどがトップチームから追いやられることに。

 

しかし(2回目)、監督経験は無かったリティ。前半戦は善戦したものの、後半は失速しあえなく昇格失敗。「やっぱりスゴイ監督が必要だ!」と誰かが言ったのかは知らない(いや知ってる)が、1997年にはゾーンプレス(死語)を戦術化した(と言われる)、オーストリア代表監督のブランコ・エルスナー氏を招聘。

 

しかし(3回目)、そんな高等な戦術に対応できる選手はおらず、なんと3バックの中央にリティを置く荒業に打って出る(ポゼッションしたかったんだろうねえ…)。シーズン前に開催されたナビスコカップでは、Jのチームにボコボコにやられ、当のJFLもチームは機能せず敗戦ばかり。

 

結果、開幕から10試合目にエルスナー監督は休養。事実上の解任となり、GKコーチのミロシュ・ルス氏が後任に就任。

 

夏には、嫌気が差したのか97年に加入したばかりの元日本代表GK・松永成立が退団。リティも飼い殺しでサテライト暮らし。松永さんにもリティにも会いに行きましたが、とっても悲し気な表情だったのが記憶に残っています。

 

もちろん昇格などできず、暮れの天皇杯前にはミロシュ・ルス監督も辞任。お鉢が回ってきた三浦俊也天皇杯の監督を務めるも、仙台スタジアムで行われた順天堂大学戦に敗れ、一部選手とサポーターとひと悶着。まあ、今思い返しても何にも残らない絶望的なシーズンでした。

 

さて。忘れちゃいけない、大型補強&大物指導者の招聘。しかし(4回目)、成績は上がるどころか下がった。そして、報じられる訳です。ブランメル仙台、解散の危機」と。

 

結果的にはあちらこちらから出資を募り、チームはなんとか継続。しかし(5回目)、大幅な予算減は免れず、残ったメンバーは、ほとんど若手とサテライトの選手たち。そして、監督には96年に実質追い出したヒゲ鈴木武一氏が就任。

 

幼い私も、この2年間は何だったのかという思いが去来した。

 

それでも、ブランメル仙台ラストシーズンとなった1998年は、前年よりかは良い戦いを見せ、前年より一つ順位を上げ8位で終了。最終戦、紙吹雪が舞うスタジアムで阿部(良則)が決めたボレーは凄かったなあ。

 

ベガルタ仙台の場合

今回のテーマはあくまで経営難とフロントのよもやま話。1999年J2初年度に打ち立てた金字塔・悪夢の12連敗や、2001年奇跡のJ1昇格の話は、いつかはわからないけどおいおい。

 

さて、時は2003年シーズン途中。戦績不振からJ1昇格の立役者・清水秀彦監督を解任し、新監督に就任したのはスロベニア代表監督でJ1での実績も豊富な、ズデンコ・ベルデニック氏。

 

実はベルデニック氏、エルスナー氏の弟子的な存在だそうで。緻密な戦略でチームをつくる監督にシーズン後半の残留を託す人選には「おいおい大丈夫か」と頭を抱える。

 

結果は、最終節にJ2降格。しかし(6回目)、翌年もベルデニック氏が留任(ここ大事)。清水監督時代に獲得した選手が数多く離脱する中、それでもシーズンオフからの指導で戦術も少しは浸透したはずだろう、2度目のJ1昇格を目指し走り出したチーム。

 

しかし(7回目)、開幕のアウェイ横浜FC戦では0-4、続くホーム京都戦では0-5で敗戦。戦略家の元代表監督が率いるチームの無残な姿に、1997年のアレを思い出す。そんなチームは、持ち直したものの、第4クール(同じ相手と年間4試合していたのです)早々に昇格レースから脱落。

 

シーズン終了後、ベルデニック氏は解任。…しかし(8回目、何回言わせるんだ!)実は複数年契約を結んでいた氏。「違約金が支払われない」と、スポーツ仲裁裁判所に異議を申し立て。

 

当たり前ですが、多額の違約金をお支払いすることに。契約書の詰めが甘かったのか、相当氏に有利な内容になっていたのか。まあ、「降格しても指揮を執らせる」という条件を設定した当時の強化担当の失策です。

 

翌2006年は、シーズン前に「清水監督復帰」「都並監督就任」と地方紙で同時にニュースが掲載される混乱っぷりからスタート。結果、都並監督が就任。開幕ホーム徳島戦は0-3で敗れるなど、まあ大変なことに。その後、藤川孝幸氏(R.I.P.)が実質的に立て直し、最終節まで昇格争いを見せるものの無念のJ2残留に終わる。

 

田中孝司GM・都並監督・藤川コーチが“総辞職”する中、強化担当に就任したのは元ジュビロ磐田フロント、立て直し期に湘南の社長も務め、Jリーグに「誰かいませんか」とお願いして斡旋された小長谷喜久男氏。

 

人脈はあるのだろう、名うての代理人から紹介された有望なブラジルトリオ(うち、その後のブラジル代表2名)と、母国ブラジルでは名伯楽として知られたジョエル・サンタナを招聘。トップチームのコーチングスタッフもブラジル人を中心に組閣するなど、思わず小生も「そんな金あるんか!」と言い放つ陣容に。1996年のアレを思い出す。

 

経営的な戦略としては、ブラジル人トリオの中で、最も前途有望と見込んで完全移籍で獲得したFWボルジェスの価値を上げることで、将来的に獲得時より高い移籍金を得るという狙いだったと。

 

まあ、その目論見はまんまと外れ、チームはこの年も昇格レースから脱落。ボルジェス割とどうでもいい試合で点は取ったが、ここは日本の2部。J1での大活躍を見越したリスキーな獲得の責任を取ったのか、小長谷氏もひっそりとJリーグに戻ることに(ちなみにボルジェスは、期待値よりはるかに安い移籍金で売られていきました)。

 

その後、2008年のこと。当時の名川社長は(今思うと)責任を果たす。それは、これまでの無謀な戦力補強を中心として、膨らみに膨らんだ累積債務の解消だった。

 

出資を募り続け、こちらも膨らんでいた資本金23億2850万円の約80%を取り崩し、18億7465万円の累積債務を解消。いわゆる出資企業・自治体が涙を飲むことになる“無償減資”で、チームの債務は無くなり、企業として積極的な“打ち手”を繰り出せるように。

 

※ここまで書いてきて、経営陣初のGood Jobでした。仙台市関係の社長(当時仙台市ガス局から就任)だからこそ進められたのかもしれません(ちなみに、宮城県24.9%・仙台市23.5%を出資)

 

サンタナ氏の退任後は、現ラインメール青森監督・望月達也氏を経て、現V・ファーレン長崎監督・手倉森誠氏が就任。2009年にはJ2を優勝し、2度目のJ1昇格を果たす。初年度こそ危うく降格となりかけたものの、東日本大震災に襲われた2011年は4位、翌2012年には2位に躍進。

 

※2013年~2019年は、表立った問題は少なめだったので中略(継続的な問題は後述)。

 

ようやく2020年

 

さてはて、思いのまま書いていたらこの時点で3500文字を突破。結論ありきのビジネスシーンなら、とっくにみんなスマホをいじり倒しているはず。

 

さて、コロナ氏の手洗いお見舞いを受けて、我が軍もこのままいけば3億5000万円の債務超過が予想されると。

 

ここまで読んできてくれた方なら、お気づきでしょう。このチームの(少なくとも)経営体質は、30年近くになる今も変わっていないと。そして、おわかりでしょう。今回の報道を受けても全く動揺していない私の胸中を。

 

興味本位で、ヤフコメを50件ばかし見てみると…

 

「勝ててもいないのに、募金を募るなんて何事だ!」
「こんなに弱くて魅力のないチームに募金したくない。看板選手もケガでいないし」
「募金しなきゃ維持できないチームなら、解体したほうがいい」
「木山辞めろ!やる気出せ!」
「経営陣刷新を!」

 

など、割と的確な最後の項目以外はただのヒステリーor野次馬ですな。まあ、否定もしません。それぞれの思いなので(“考え”とは言わない)。ただ、“強いベガルタ”からサポーターになった人は辛いだろうねえ…。

 

まあ、勝てない弱いチームに魅力を感じないなら、強くてお金のあるチームを応援したほうが絶対いいよ。あと、自己のアイデンティティをチームに依存するのもやめた方がいい。心が荒むよ。

 

事実で考えよう。まず、募金ありきではない。実際、そうでもしないといけない状況なのだ。

 

報道どおり、まずスポンサーは募るだろう。業務委託の営業を募集していたくらいだから。一方で「少なくとも15億円のスポンサー収入が必要」なんて話しているが、これは無理だ。それがコロナ禍の今に実現出来るなら、今回の事態には陥っていない。ドバイか中国に、身売り先を探しにいった方がまだ早い。

 

ちなみに、その「15億」は、2019年度並みの営業収入にする、そして約13億円というリーグ最低水準のチーム人件費を維持するため、必要だということ。

 

まあ、そこを削るのは致し方ないね。これも、トータルな意味でチームの実力。そして「弱さ」な訳だ。

 

収入が観客動員数依存になりがちな時点で、流動的な要素が多すぎる。もし観客動員数に頼らざるを得ないというなら、「弱いから見にこない人」ではなく「弱いけど見に来るスキモノファン」を増やせたのか?

 

これはフロント、監督、選手を含め「努力した、しない」「頑張った、頑張っていない」ではないんだ。そんなことはどうでもいい。みんな、何かしらやっている。

 

ただし。現状を良くしようと考え、行動して、改善しなかった結果が今のチームじゃないのか?数字は事実だ。できていないなら、それだけの話だ。コロナだから、じゃない。

 

 

そもそも、やる方向が合っていないんだ。

 

 

現実的な目標は、特例(債務超過があってもライセンスを剥奪されない)のある今年と、来季を含めた2年がかりでの「債務超過の回避」でしょう。そのために今、この瞬間から、フロントも現場も何を見据え、考え、走るか、だ。

 

来年は、とてもJ1とは思えないような陣容になるかもしれない。でも、それでいいのではないかと思う。自分はJ2でも、J3でも観に行く。これはチームへの盲信ではない。久しぶりのJ2、まだ知らないJ3。興味がいっぱいだ。いや、それはまだ早いか。その前に、4チーム降格という未曽有の戦国シーズンが待っている。それに…

 

 

楽しみじゃないか。今回の一件で、25年以上の「宿題」を片付けようとチームが本当に変わるのなら。

 

 

ただ、選手たちの心中を考えると、胸が痛い。と、言うか、とっくに経営状態悪化の実像が伝わっていたのだろう。もし知らなかった、とすればこうして経営悪化が報じられた動揺は大きい(そうだとしたら、今現場は荒れてるだろうね)。それなら、あの戦いぶりも合点がつかなくもない。

 

考えてみればわかる。自分の会社が潰れるかもしれないと思えば、普通モチベーションは上がらない。特に、来季内定の真瀬くん&アピくんや若手選手は辛いのではないか。

 

苦しい状況ではある。だからこそ、選手たちは来年以降の移籍先を探すつもりで、大いにアピールしてほしい。それでチームがJ1に残れたら良いことだ。冷めた言い方かもしれないが、これは短いプロ生活を生きる選手の人生なのだから。

 

さて。チームのことを俯瞰して考えられるファン・サポーターは今どれだけいるのだろうか。フロントや現場だけではない。我々も今、問われている。

 

このチームが、あなたにとって本当に必要なのか?必要ならば、なぜそう思うのか。そして、どう行動するのか。

 

 

あえて言おう、これがベガルタというチームだ。

 

 

そして、君たちは、どう動くのか。どう生きるのか。